TBS♪Tokyo Band Stalker

もしも好きにならなければ 幸せに過ごせたのに

「人生、怒濤編」は中だるみなのか――「半分、青い。」総評未満

 もう2019年ですか。それは大変、私には書きたい文章が山程あるのに。

 「半分、青い。」の総評もそのひとつ。書きたい内容を一行ずつリストアップした筈なのに、書き始めたら全く異なる内容が出現。

 

 七月以降の「人生、怒濤編」、特にほぼ七月いっぱい展開された「大納言編」の評価が何故か低いのが気になりましたので、「何故そう思われたか」「実際にはどうだったのか」等を今回は考えてみたいと存じます。

 前半は私がどういう態度で半青を見ていたか、少し詳しく書かせて下さい。

 

 

 

 今年の四月から九月まで半年間放送されていた朝の連続テレビ小説半分、青い。」。

 初めに情報が出た時の視聴動機なんてそれは酷いものでした。「北川脚本ならスピッツが主題歌の可能性もある」、これが私の開始点でした。これはひどい

 結局主題歌は星野源さんの「アイデア」となりましたが、それはそれで「星野源なら大外れにはならないだろうし、自分が生まれた平成の時代も朝ドラには珍しくやってくれるみたいだから見てみよう」と考え見ていました。

 

 今だから書けますが、最初の頃(子役時代~高校時代)は毎回きっちり視聴ではなく、一日飛ばし位は結構やってました。朝ドラ完走経験がほぼない*1のと四月は新しい現場で業務が始まったばかりで、能力不足から残業しまくっており時間的に見る余裕があまり無かったのです。

 

 最初の難関を乗り越えて残業のピークが過ぎた頃、タイミング良く半青世界に秋風羽織が降臨しヒロインの鈴愛(すずめ)が漫画家を志す展開へ。

 秋風先生に引っ張られる鈴愛に芋蔓式で引っ張られる様に、私もその辺りから毎回見る様になりました。だって面白かったんだもん。終盤は本放送の録画を見た後に夜のBS再放送を見る等のめり込み具合が半端ではありませんでした。

 転機はTwitterが大炎上した6/30の問題の回。あの台詞を聞いてから、私は何が何でも九月まで見届ける事を決意したのです。

 「私には何も無い!」と自暴自棄になりながら叫ぶ鈴愛は、過去に何度か同じ思いを経験した私の鏡映しでした。フィクションにしては余りにも思い当たる事が多すぎて、「脚本家、実は私と面識があるのでは」とさえ本気で錯覚した程でした。図らずも、昔の私を客観的に見つめ直す機会が訪れた瞬間でした。

 

 ただちょっと怖かったのは、その場面を「前の会社をクビになった頃~転職活動中」に見ていたら冷静に見られたかどうか分からないという事です。当時の私には、女性が当たり前の権利として学び働ける環境の礎を築いた女性をモデルにした「あさが来た」が凄く響いたのです。転職活動時の心の支えでした。今はパートタイマー兼小学校ボランティア主婦の母も昔は学校も当然行って当然働いていた訳で、その事をありがたいと思ったのか放送中えらくあさちゃんをありがたがってました。

 そんなメンタルだったので、もしこの時見ていたのが半青の例の場面だったら、的確に心を抉られて再起不能になっていた可能性さえ感じました。

 あの日あの内容が、半青スキーとアンチが完全に断絶した瞬間だと思います。

 

 絞りかすになっても尚最後の一滴を絞り出そうとしたけれど出せなくて*2才能の限界を感じ、漫画の世界から足を洗ってかつての戦友達と青春のラストページを刻む――――という感動的な場面を放送した翌日にいきなり百円ショップで働いてる朝ドラヒロイン見たらそら皆驚きますわな。唐突に時間軸が飛ぶのが半青の特徴でしたが、この辺りから納得しがたい声がちらほら。

 

 「漫画家編は面白かったけど、以降は面白くない」

 「後半失速したよね」

 「結婚した後でも出産した後でも漫画は描けるから辞めなくても良かったのに」

 「漫画家として成功して欲しかった」

 

 漫画も好きな身としては、確かにヒロイン当人が漫画家として成功するストーリーも見てみたかったです*3。が、この話は漫画家廃業及び違う何かを成し遂げる事が公式から早めにアナウンスされておりましたので基本的には公式の告知を把握した上で「どう話を持って行くか」を見届けられたので、大変満足しております。まぁ、あそこまで硝子の破片が胸へと突き刺さる展開だとは全く予想していませんでしたが。

 リアルタイム放送時の感想や放送終了後の総評等を拝見したところ、漫画家廃業のくだりで漫画家続行希望をおっしゃる方が多かった様に思われます。大納言編突入後に失速したと感じる方もいた事を踏まえると、「半青は片耳失聴というハンディを抱えながらも少女漫画家を目指す(そして、紆余曲折あっても最終的には漫画家として成功する)」物語として一定の層には期待されていたのでしょう。

 ところが鈴愛の物語の紆余曲折っぷりは視聴者の想像以上にひん曲がって回り道の連続でした。

 七月→時系列は1999-2008春頃。バイト先の百円ショップで知り合った映画監督志望の男性(森山涼次・通称涼ちゃんさん)とスピード婚して一女をもうけるも、夢を取った旦那に捨てられ離婚

 八月→2008春~夏頃をじっくり。故郷に出戻りして廃れかけた祖父の五平餅を継承の上カフェを開業、制作した看板キャラの権利と引き換えに東京で職を得る

 九月→2008秋~2011/07/07。東京の会社が倒産し夜逃げした社長の後始末に追われながらも一人で開業して四苦八苦していた所に幼馴染みが合流して「そよ風の扇風機『マザー』(実在の商品)」を開発、完成させた所で物語は完結

 

 ……改めて纏めてみるとすごいなあ……きっと視聴者含めた赤の他人は鈴愛の人生を「迷走」の二文字でもって軽く語り終える事が簡単にできるのだろうな。

 実は人生のステージごとに小さな成果があるけれども、鈴愛の言動や振る舞いが悪い意味でド直球だったりするので帳消しになりやすくて成果そのものに対する正当な評価が下せないのでは。結婚というステータスを得たら旦那の踏み台にされた頃を除くと、五平餅を祖父から継承し、カフェのマスコットとして制作した「岐阜犬」は間接的に幼馴染み親子に良い影響を与えたし(鈴愛のマーケティングもばっちり当たった)、ジリ貧ながらもおひとりさまメーカーとして何個か自分のアイデアを商品にしていた鈴愛はその時その時で小さな成果を積み上げていたのですよね。方向性が統一されていないが為に「迷走」と呼ばれてしまうだけで。

 

 人生でおそらく何も成し遂げていない私には、アイデアを武器にその都度必要に応じて新しい知識や技術も身につけた上で彼女がもがく姿は「格好悪いかも知れないけれど格好良く」見えました。

 その姿は幼少期の糸電話やゾートロープを幼馴染みの律と作っていた頃と重なります。漫画家を廃業して様々な働き方を経験する彼女は表面的には迷走していると囚われるかも知れません。大人になってからは経営責任も打算も背負いますし、身近な人から人生を託される場面も出てきます。現代に近づくにつれ高速化は著しくなります。

 しかし自分が作りたいと思った物を作るという意味で、芯は変わっていないのです。

 

 半青後期の「人生、怒濤編」を中だるみとはとても呼べません。

 むしろ鈴愛の人生、漫画家廃業からがスタートとさえ言えます。

 

 「人生、怒濤編」はある意味、「人生、充実編」だと思いました。

 

 

 

   以上

*1:唯一完走に近い「あさが来た」は何故か「新撰組!」から土方歳三が出張してくるというサプライズがあり、そこから見始めました。という訳で最初の方を補完するべく現在再放送を見ています

*2:最後のチャンスと思って取り組んだものの、規定の半分までしか描けず原稿を落としてしまった件

*3:ゲゲゲの女房」ではタイトル通り、漫画家の女房がヒロイン。ついでに「ひよっこ」では、ヒロインと同じアパートに住む二人組の漫画家がいてヒロインをモデルにした?キャラを登場させていた模様。体型はどう見てもドラえもんだったけどな!