TBS♪Tokyo Band Stalker

もしも好きにならなければ 幸せに過ごせたのに

ガード下のオイディプス 千秋楽アフタートーク+感想

2024/10/28(Mon.) フライングシアター自由劇場「ガード下のオイディプス

千秋楽アフタートーク in すみだパークシアター倉


※途中からのメモにつき、レポとしては不完全である旨ご容赦ください


登壇者:串田和美佐藤信、大森博史、串田十二夜

串田和美(以下K):「イスメネ地下鉄」のポスター見てたら「Coca-Colaを飲
みながら演じるギリシャ悲劇!」ってあって、「これじゃん!」と思った。
佐藤信(以下S):オンラインで演劇学校やってた時、二十歳台の子に「なんで
受けたの?」って訊いたら「なんか元気なじーさんいるから気になって(笑)」
と。公平だね。
大森博史(以下O):串田さんの中でどこか原点に戻ろうとしたんじゃないで寸
ですか。
S:「イスメネ地下鉄」描いた時は上演する当てのない劇で。色々な人の所へ
持って行って読んでもらってた。
K:昔と今では人から人への伝達の仕方が変わったね。昔は最初に見た奴が伝
えたい奴のところへ公衆電話に並んでかける。
 昔の宣伝の仕方↓
 ・お呼び出し(百貨店のアレ)
 ・駅の伝言板
 ・チラシの手配り
S:今回見て印象的だったのは「めくらが四人~」の歌。視覚に頼りがちだけ
ど、言葉の力がある。

Q.演劇を続けるモチベは?
A.昔「倉庫に勤めて、少しずつ仲間を引き入れて、年一日、二日倉庫の中身を
出して……」という事を考えていた(笑)。最後の手段として考えていたのだ
が、だんだん理想になってしまった。(K)

昔の台本(戯曲)を読み返して、やりたい事を貯めてったらコロナの間に探して
たら(所在が)ない本があって、それを探すのが楽しかった(S)

僕は楽しくてしょうがなかった(O)

再演して欲しいという声をいくつか聴いたので、僕も再演したいなと(串田十
二夜)

 

 

 せっかくなので、劇自体の感想も一緒に。

 

 きっかけは、「まだ見た事のないUGUISSの予習」。

 2023年山弦(小倉博和+佐橋佳幸)に沼り、最初はユニットとしてのみ応援するつもりがそれぞれのソロ活動も追いかける様になった所で佐橋さんがメジャーデビューした時のバンド・UGUISSが四十年ぶりに復活し今後の継続的な活動も期待出来そうな為UGUISSメンバーの予習をしていこう→新メンバー・Dr.kyOnさんが音楽担当兼役者担当する舞台がある→じゃあこれに行くか→千秋楽観劇に至りました。

 

 近年親の影響で演劇はミュージカルばかり見る様になった事もあり、今回の音楽劇スタイルはすっと入り込めました。

 

 きょさん(何故かDr.kyOnさんの事を私はこう呼ぶ様になっていました)は所謂下手側にアコーディオン・キーボード・エレキギター・ノートPC等々が置かれていて、基本的にはそこで生演奏担当。ただし完全に音楽に専念する訳ではなく、時には劇団の一員として、時にはギリシャ時代の使用人としてきちんと台詞のある役を演じていました(他の役者さんは一人で四役も五役も……全員バランス良く忙しそうでした)。あと、タッパありましたね。最近の俳優さんて背の高い人が多いですがそれにも引けを取らない。後ろがちょっと燕尾服っぽくなる黄色いチョッキがお似合いでした。ほら、UGUISSではとびきり小さい63歳児(^^)がいるせいで縮尺バグって見えるからさ……

 更に音楽を奏でるのは他の役者さん達も。吹き物やウクレレ等が舞台のあちこちに混じっていて、何気なく取り出して皆で演奏し歌い。ギリシャ演劇はかつてコロス隊という役割がいたそうですが、この作品では役者が伴奏者にもコロス隊にもなる訳です。

 

 この作品は聴覚的のみならず、五感に訴えかけてきます。

 会場はかつて倉庫だったのを劇場とカフェにリノベーションした建物で、開演前は併設のカフェで作品とコラボしたギリシャちっくなランチプレートを頂き。

コラボメニュー・ケフテデスプレート

 会場に到着したら、機材の都合で急遽座席の変更を伝えられ座った新しい席は前から三列目。少し前に座れてラッキーと思うのもつかの間、串田和美さんが既に舞台上でオープニングトークを繰り広げていました。下手側の壁に貼られていた「イスメネ地下鉄」という昔上演した舞台の思い出話をしていたのかな。結構ギリギリの着席だったので、あまりそちらは詳しく聞けず。今思えばポスターの写真も撮っておけば良かったです。

 おっと横道に逸れてしまった、視覚的に凄かったのは実際に開演してからで。

 元々が倉庫な為下手は完全に塞がっており、代わりに中央後ろにどーんと隙間が空いていました。思いっきり外が見えている状態で始まると、その隙間からセットをその場で役者さんが運びあれよあれよという間に演劇空間が張られ後ろの扉もいつの間にか閉まり観客は非日常の世界にこんにちは。

 

 終盤では卵料理を実際に作ってしまう場面も。

 前から三列目の席に変わった一番の利点は、調理時の匂いをダイレクトに感じられた事。昼食はしっかり食べたのに、シズル感に負けてよだれがじゅるりと出そうになりました。嗅覚まで刺激してくる舞台作品はそうないと思いますので、貴重な体験でした。

 

 聴覚については先に記したとおり。

 

 残る触覚についてはこじつけとなりますが、何となく会場の椅子を当て嵌めたいかなと。日比谷の街に立つ劇場の椅子は大抵ふかふかですが、会場の椅子は駅のプラットフォームに置かれたそれを思わせるつるつる仕立て。けれど絵の具のペイントで画一的には見せない。つるつるの椅子なので終盤はちょっと腰に来たかなと思う事もありましたが、見終わってから何ヶ月も経つのに……それこそ劇団の次の舞台も公演終了したのに会場の椅子について詳しく思い出せる位、思い出に残ったという事なのでしょう。

 

 「オイディプス王」という作品は大学時代の岩波文庫以来に触れました。今回は串田和美さんから指定された文庫本を図書館で借り、ひととおり目を通してから観劇。

 予習しておいて良かったです。本筋こそ「オイディプス王」ですが、スフィンクスが与える試練の内容の場面を詳しく取り上げたり、車輪が燃える馬車の話(詳細失念)の話を取り込む等他のギリシャ神話も少し含まれていました。

 

 今回の作品を見ながら、「嘘の付き方」について考えていました。

 エンターテインメントとしての嘘の付き方は媒体によって最適な方法が違っていて、多分作品のジャンルでも変わってきて。私はしょうもない二次創作しか書かないけれど、今は物語上での大きな嘘以外はなるべく嘘を入れたくないという心情でして。だから、必死こいて下調べや取材を頑張る様になりました(当社比)。

 「ガード下のオイディプス」は串田和美さんが串田和美さんとしてなのか「盲目の老人」という役としてなのか最初から境界線が曖昧な状態から開始

→劇団員がその場で舞台セットを組んで「オイディプス王」を演じてみようという流れに

→「オイディプス王」は劇中劇

→「オイディプス王」本編の物語が終了した所で劇団員パートに戻り現代人視点での解釈等が語られる

→ガード下の場面に戻り、盲目の老人の独白で終わる

 大体こんな感じの入れ子構造+五感に訴える演出で「演劇作品ならではの嘘の付き方」に圧倒されてきまして。

 上手く人に言えなくて今日まで感想を溜め込んでしまいましたが、完全に忘れる前に吐き出せてすっきりしました。

 

 謎を解かない形でスフィンクスを制したのに、自身にまつわる謎と因果を紐解いてしまい破滅を迎えるオイディプス

 結果的に自らの手で両親の死を招いた人生に絶望し両目を潰し、それでも生きてゆく事を選んだオイディプス

 私が「ガード下」で話を聞いたあの老人は何千年も前からの執念で生き延びてきたオイディプス王その人だったのかもねと思いながら、スカイツリーが見守る錦糸町を歩いて日常へ戻るのでした。